私と植物との甘いカンケイ
1.
子どもの頃の植物遊び
幼少期、女の子らしくデージーの花びらを毟っておままごとをしたり、シロツメグサの花冠を作ったりするのが大好きだった。だから、幼稚園の頃の「将来の夢」は花屋さん。植物は一番身近で手軽な興味の対象だったのだ。植物を使った遊びは本当によくしていた。ちょっと思い出してみたら、あまりにたくさんの種類の遊びがあったことに驚いてしまった。以下が思い出した限りでの遊びの数々である。

シロツメグサやレンゲの花冠。
四つ葉のクローバー探し。
オシロイバナの種を壁にこすりつけ白粉と称して顔に塗ってみる。
豆の葉を手のひらに乗せて叩いてパンと音を出す豆鉄砲。
竹を使った押し出し式の鉄砲の弾は万両の実。
笹舟。
カラスノエンドウの鞘の笛。
数珠玉の首飾り。
ミカンの汁のあぶり出し。
どんぐりの独楽や、やじろべえ。
イヌマキの葉で手裏剣。
ペンペン草のでんでん太鼓。
ツバキのつぼみのお雛さま。
松葉の相撲。
オナモミのワッペン。
ヨウシュヤマゴボウやヤツデの実をつぶして色水を作る。
スギナのつなぎめの当てっこ。

この他にも、ニッケイやゲッケイジュの葉をもんで匂いをかいだり、アカツメクサの花をとって蜜を吸ったり、桜の実を食べたりした。カタバミやホウセンカなど、種がはじける種類の植物なんかは片っ端から触るだけでも楽しかった。
さらに、小学生になる頃には植物図鑑を見て植物の名前や性質を憶え、観察することが好きになってきた。この年齢の子どもは図鑑の中身を暗記するのが得意で、よく男の子なんかは乗り物や怪獣の図鑑を暗記していたが、私はそれが植物図鑑だったのだ。興味の対象は子どもの目の届きやすいということで、主として雑草のたぐいであったが、ずいぶんいろいろな植物の名をこの頃に憶えた。
小学1年生の夏休みの自由研究が押し花の植物標本だったことも憶えている。加えて動物好きでもあった私は小学3年生以降のクラスの係はいつも「園芸飼育係」。子ども時代は動植物とともにあったわけだ。
しかし、どういうわけだかこの甘いカンケイは小学生までで途絶えてしまった。思春期になるといろいろ別方面に興味が移行して、植物に関する興味は置き去りにされてしまったのだ。
2.
ガーデニングブームに乗っかって
植物に突然興味が戻ってきたのは、それから20年以上も経過した後だった。家を購入したことが直接のきっかけだったのだが、ちょうどガーデニングブームの始まりの頃だったこともあって、すっかりブームに乗っかってしまった。
20数年ぶりに植物達と再会して、昔の記憶を引っ張り出しつつ花屋めぐりを始めた私は、すっかり驚いてしまった。小学生とはいえ植物に関してはかなり博識だったのに、その私がまるで知らない植物が花屋の店先にずらりと並んでいるではないか。ここはどこ?私は誰?てな感じである。
ディモルフォセカ、アリッサム、ブラキコメ、ロベリア、ミムラス等々、みごとに横文字だらけである。クリサンセマム、クレオメ、おお、これは記憶通り。最初から横文字で憶えていた花は、今も名前が変わらずにいてくれるので、昔なじみに再会したような安堵感。でも、やっぱりここは見知らぬ国。
そして、面食らったのは、ナスタチウムだった。
花屋で見たその植物は、どう見ても昔知っていたキンレンカだった。しかし、名札にはナスタチウムと表記してある。三色菫をパンジーというみたいに名称が変わったのかも、とは思ったものの、カッコ付きのキンレンカという文字すら書いてない。もしかしたら記憶違いだったのかなあ、疑問あふれる思いで家に帰って調べてみた。
ナスタチウムはやっぱりキンレンカだった。なんたること、20数年のうちにキンレンカの名称は三色菫と同程度にまで消滅してしまったのだ。同様にキンセンカもカレンデュラに、美女桜もバーベナになってしまっていた。
しかも、花苗メーカーがおのおの好き勝手な名前をつけるということまでしてくれるので、それはもう混乱の極み。ペチュニアがサフィニアになっちゃったと思ったら、サントリーの作ったペチュニアの品種名だったなんて、今浦島の私には理解不能。
とりあえず本屋に走り、現在の花がわかる本を数冊買い込んだ。ガーデニングブームだけあって、かなりの数の園芸の本が並んでいる。もともとが好きなタチだったこともあって、1〜2年もするとかなり博識度がもどってきた。しかし、ブームだけあって新品種がぞくぞくと出てくるのにはまいったけど。
3.
ガーデニングことはじめ
我が家は東京都の新宿区にあり、都心にごちゃごちゃとたくさん建っている、いわゆるペンシルハウスの類いである。当然庭はない。そもそも、家が建つまでガーデニングなど興味の対象外だったので、庭なんて欲しいとも思わなかったのである。
しかし、家が建ってみるととりあえず玄関脇にグリーンを置きたくなった。そこで買ってきたのが、その頃大ブームになっていたゴールドクレスト。そして、家の中には数鉢の観葉植物。さらに、いち早くガーデニングブームに染まっていた友人から花の寄せ植えをもらい、ここから、植物へののめり込みは静かに始まったのだ。
春になると、巷に花があふれ出す。私もさっそくあれこれ手を出して家の前を花で飾りたい衝動にかられた。しかし、知識が小学生の時で止まっている私としては、育てるのも飾るのも自信がない。そこで、今年は白い花の一年草だけを育てよう、と思いついた。
つまり、数種類の花を並べても成育状態によって花期がずれるだろうし、せっかく色を合わせてもどれかが早く枯れたり、思ったような咲き方をしなかったら困るのだ。花色も咲いてみなきゃ正確な色味がわからない。単に赤といったって無数の色調があるわけだし。そこらへんは、デザイナーとしてのこだわりが変にでてきてしまい、絶対に美しくない色の組み合わせはしたくなかったのである。単色に統一してしまえば、とりあえずちぐはくな組み合わせにだけはならないだろう。
そういうわけで、ガーデニング1年生にふさわしく色は白一色。狭い家なので、そんなにたくさんは育てられるはずもないので、一年草。ということで、その年の夏は白い松葉牡丹、サフィニア、サルビア・コクシネア、日々草のラインナップになった。(厳密に言えば多年草も入ってたけど一年草扱い)
この頃は植物にそんなにお金をかけるつもりはなかったので、松葉牡丹は種から育てた。植物っていうのは、買うものというよりなんとなく生えているものっていう認識だったから。のちには、盛大に買うようになるのだが。
この年から我が家の植物空間は、3階のバルコニーを育成スペースとし、1階の家の正面スペースと2階のウィンドーボックスを飾るというパターンになったわけだ。2階のウィンドーボックスはもともとはなかったのだが、ガーデニングにはまり込んだその年の秋に工務店に作ってもらった。
そしてその年以降、青の年、黄の年、赤の年の「一年草単色の時代」を経て、多年草の時代へと変遷していった。
4.
一年草単色の時代
最初の年は白。まだ2階のウィンドーボックスもなく、家の表にプランターを並べただけだ。スペースは微々たるものでも、育ててみたい植物があれやこれやあって、すし詰め状態である。
一年草は苗を買うものではなく、種から育てるものという観念に染まっていたので、さっそく松葉牡丹の種を蒔き、バルコニーで育てた。昔ながらの各色混合の安い袋入りの種を蒔き、赤い茎のものを間引いて白花だけを残すという小学生の頃のままの育て方である。さすがに育成スペースが足りないので、苗で買ってきたものもあったが。松葉牡丹をプランターに定植すると、お次は葉牡丹の種蒔き。
そうやって、翌年の青の年にはリナリアや千鳥草を、黄の年には菜の花やスイトピー、赤の年には撫子(ダイアンサス!)やサルビアをせっせと種から育てていた。
なりゆきで始めた単色シリーズだったが、狭いスペースの場合、単色に統一するというのはなかなかに効果的だった。ガーデニング関連の本などでも、ときどき単色の庭が取り上げられるが、単色だと大きな色のかたまりとしてとらえられるため、視覚的にかなり派手でゴージャスに見えるのだ。そのせいか、この時代はよく通りすがりの人に声をかけられた。
なかなかの首尾に機嫌を良くした私は、毎年イラストを描いて綿密なる計画の元、単色計画を推し進めていった。実際には初心者の悲しさで、なかなか計画通りには育ってくれず、計画変更はしょっちゅうだったけど。
毎年がらっと雰囲気が変わるというのは、デザイナーの嗜好にぴったりでとてもよかったのだが、こうして4年が過ぎると、趣味とはいえちょっと忙しすぎるような気がしてきた。狭い家なのに育成スペースが必要というのも、ちょっとつらいところだ。バルコニーには育苗用の小さなポットが並び、あまり美しいとはいえない状況なのも気に入らない。
やっぱり多年草を長く育てた方がだんぜん楽だし、常に苗がずらりと並んだバルコニーからも開放されたい。一年草が欲しい時には花苗を買えばいいんだし。ただ、単色はあまりに魅力的なので、色をどうするべきかさんざん迷うことになった。一色に限定してしまうと飽きちゃうのは明らかだし、いろいろな配色を楽しんでもみたい。でも、単色だと狭いスペースが一挙に華やいでくれるしなあ。
5.
多年草の時代
結局色にこだわるのはやめ、嗜好のおもむくままにいくことにした。欲しい植物は山のようにあったし、植物によって一番美しい花色っていうのがあるし。
それにこの頃になると、花の美しさより葉の美しさに目が行くようになってきていた。もともと観葉植物は好きだったので、葉の美しさは重々承知していたが、外で育てる植物というと、花に目を奪われがちだったのだ。でも、ギボウシやアマドコロ、ヒマラヤユキノシタなどの葉の美しさに改めて感じ入り、葉があってこその花、という観念が定着してきつつあった。
こうして葉の美しい多年草が次々仲間入りすることになった。
困ったのは、葉の美しい植物の多くが日陰が好みだというところ。我が家は南向きで、日当たり抜群。おまけに地面というものがなく、コンクリートで固められているせいで夏の日照りにはすさまじいものがある。3階のバルコニーともなると朝から夕まで日が当たりっぱなしだし。
そこで夏には寒冷紗などで覆いをしたり、蔓植物を這わせたりしたのだが、またもや手間は増えるばかりである。
さらに、欲しいものだらけの結果として、小さい鉢がぞろぞろ並び、育苗スペースのごちゃごちゃからは開放されても、あまり状況が好転したようには見えす、バルコニーはやっぱり美しいとは言えない。
夏の寒冷紗や蔓植物、冬のビニールのフレーム、というのも美観に悪影響を及ぼしていた。それに、忙しいのも一年草単色の時代からあんまり変わっていない。種類だけは異様なほど増えて、知識もそうとう付いてきたが。
美観を最優先にし、忙しさから開放されるためには、直射日光や暑さ寒さに弱いものを減らさなければ。多年草の時代に入って数年目に決意。そうとうの数の鉢植えを知人に配り歩くという結末になった。
6.
バルコニー木陰化計画
灼熱地獄の夏のバルコニーをあまり手をかけずに、しかも美観を損なわずに涼しくさせるためには、暑さに強い木で木陰を作ればいいじゃないか。木陰は冬の寒風からも守ってくれるだろうし。鉢の数がごっそり減ったので、今度は直径30〜40cmの大鉢をいくつか購入。嗜好は樹木へと移っていった。
なるべく丈夫そうなものをということで、まずは常緑の夾竹桃を買ってきた。株立ちでよく分枝するからいい日陰を作ってくれるに違いない。常緑だから、冬場も淋しくないし風防ぎにもなる。
しかし、思ったほど育ちがよくなかった。葉は美しい深緑にならないうえに、よく落ちる。公園などでわさわさ元気に育っているのを見て、もっと丈夫だと思っていたのにがっかり。もっともこれは、水不足が原因だったらしいと、3年目にしてようやく気がついた。乾燥気味に育てるように書いてある書籍も我が家の灼熱バルコニーのような環境は想定外だったということか。冬でも毎日のように、夏はあふれるほどに水をやるようにしたらちょっと元気になってきたようだ。
その後、肉桂の木を手に入れた。これも常緑だし、子どもの頃近所によく生えていた木で丈夫そう。大木になる木だから、日光もいっぱい浴びたいだろうし、思惑にぴったりではないか。ところが、これが大失敗。3年間育てたのだが、毎年夏になるたびに葉焼けしてせっかく春に出てきた新芽がみんな茶色く枯れてしまう。観葉植物と違って表に出しっぱなしなのに葉焼け・・・。さすがに3回目の葉焼けの後は、イヤ気がさして引っこ抜いてしまった。
それから、イチジク。落葉だけど葉が大きいから掃除は楽そうだし、夏には気持ちのいい日陰ができそう。おいしい実もなるし。これは、今年で4年目。元気に育ってはいるが、やっぱり期待外れだった。なんと、よそで見るイチジクの1/3くらいの大きさにしか葉が育たないのだ。葉のつき方もまばらだし。しかも、いまだに結実しない。こいつは朝から晩まで日が当たるからって、光合成をさぼっているんだろうか。というか、鉢植えの限界なのかなあ。
そして去年、これならば、とバリバリ南国の木であるサンゴシトウを購入した。これはいまのところたいへん満足な成育をしてくれている。今度はかなり大きなものを買ったので、ようやく木陰らしいものもできてくれた。花も美しく、ようやくバルコニー木陰化計画も軌道に乗ってきた感じでやれやれである。
しかし、植物を育てるってなかなか一筋縄ではいかない。こちらがいくら甘い幻想を抱いて育てていても見事に裏切ってくれる。こいつらも、いつまで元気で育ってくれるものやら。実はなかなかに甘くないカンケイなのだ。
2005年6月15日