文字の話
1.
手書きの時代
中学生の頃から、レタリングやタイポグラフィがけっこう好きだった。文字を描き起こしたり文字を主としたデザインのことである。当時はパソコンなど誰も持っていなかったので、もちろん手作業である。見本帳を見ながら鉛筆で下書きをし、烏口と筆とでポスターカラーを丁寧に塗っていく。まことに辛気臭い作業だったものの、美しく仕上がると印刷物みたいでわくわくしていた。当時はデザイナー志望の若者にとって、印刷物はあこがれだったのだ。
高校時代には、頼まれてレタリング主体の音楽会のポスターを10枚も作ったりした。カラーコピーなんていうものもなかったので、同じものを10枚、全部手書きである。なんとのんびりした、そしておそろしくたいへんな時代だったことか。
デザイナーとして就職してからも、レタリングはかなりやった。普通は指定して写植で文字をうってもらうのだが、ちょっと変わった書体を使いたかったり、ロゴを作る時には写植だけでは足りないこともあった。当時のグラフィックデザインの事務所には、1文字が3センチくらいに描かれた書体見本帳というのががたいてい何冊もあって、そういう時にはそこから印画紙に焼き付けて、カッターと糊で貼りあわせて作っていた。英文の書体見本帳には千を超える書体があったものの、さらに好みのものをということで書体を自分で作るということもあったのだ。
最終的には版下になるものなので、今度はポスターカラーではなく、ロットリングというペンと黒いインクのみで書き起こす。白は使わない。はみ出したりした部分は、印画紙にネガポジ反転させて焼き付けたものに、やっぱり黒のインクで修正をしていく。英文の書体ひとつ作るのに、他の仕事の合間合間にではあるけど、半年くらいもかけただろうか。最初は天地10センチくらいに書き起こし、3センチ程に縮小した文字を切貼りして単語を作る。それを1センチくらいに縮小紙焼きして全体のバランスを見て、気になるところを最初の10センチ文字に修正を加えていくという、まったく気が遠くなるような作業だった。
2.
パソコンとフォント
手書きや切貼りのたいへんな作業をさんざん体験してきたこともあって、パソコンを使うようになって最初に夢中になったのは英文フォントの収集だった。あれだけ苦心惨憺して切貼りして作っていたキャッチコピーが、キーボード操作だけで出てくる快感。フォントはすでにかつての書体見本帳をはるかに凌駕する数が出回っているので、新たに書き起こすまでもなく好みのものを探すこともたやすい。邪魔でかさばる書体見本帳とも、これでおさらばだ。書体見本帳というのは非常に高価なものだったのだが、本棚から追放することに躊躇はなかった。ロゴ制作なども、文字をアウトライン化すれば手書きの頃とは比較にならないほど簡単できれいに作れる。
しかし、日本語書体となるとそう簡単にはいかなかった。というのは、初期の日本語フォントにはたいていプロテクトがかかっていて、コピーすることはもちろん、アウトライン化することすらできなかったのだ。インストールはパソコンやプリンター1台のみで、ハードディスクがクラッシュした場合にはインストールに必要なフロッピーディスクをメーカーに送り、替わりのものを送ってくるまで使えないという状況になってしまうのだ。しかも高価なものなので、たくさんのフォントを持っているとパソコンやプリンターを買い変える時にはたいへんなことになる。
パソコンの日本語フォントというのは、まったくややこしいシロモノだ。トゥルータイプ、ATM、ポストスクリプトなどの種類がある他、ポストスクリプトフォントにはスクリーンフォントとプリンタフォントがあり、さらにプリンタフォントには高解像度と低解像度がある。また、時代とともに、OCFフォントからCIDフォント、New CIDフォント、OpenType フォントへと移り変わっている。これらのフォントの違いを正確に知っている人なんて、デザイナーの中でもごくごく少数だと思う。私もあやふやな認識しかない。しかも、今使っているマシンはフォントをたくさん入れるとATMファイルが壊れたりフリーズしたりするから、フォント管理ソフトで仕事ごとにフォントを入れ替えする作業が必要だし。
さすがに最近の日本語フォントはアウトライン化もできるようになって、これはおおいに助かっている。しかし、パソコンにフロッピードライブが標準装備されなくなっている今日、インストールはフロッピーを使わないとできないっていうのはどんなものだか。
と書いたところで、今日フォントメーカーからDMが届いた。一定の年会費を払えば、そのメーカーのどのフォントも使い放題というシステムを構築したらしい。そしてインストールはCD-ROMからのようだ。これは、いいかも。でも、会費の金額が・・・やっぱり日本語フォントはお金がかかる。
3.
かわいそうなアポストロフィー
パソコンでのデザインが普及したことによって、ものすごくないがしろにされてしまった文字がある。それは英文には必ずといっていいくらいによく出てくるアポストロフィー「’」の記号である。
ウィンドウズの場合は知らないが、デザイン業界で標準のマッキントッシュでは、たとえば中ゴシック体とか細明朝体、OOSAKAなどの日本語書体を使っていると、このマークが全角でしか出てこないのだ。半角にしようとすると、「'」こうなってしまう。半角のアポストロフィーを出すためには、フォントをTimesやHelveticaなどの英文に設定し、入力方法は「U.S」を選び、「shift」「option」「「」を同時に押すという手順を踏まなければならない。そして悲しいかな、その方法を知っている人は、実はデザイナーでもあまりいないのだ。
かつて編集ライターやコピーライター、もしくはクライアントが書いた原稿は、活字のプロである写植オペレーターによって写植という活字に変換され、デザイナーはそのでき上がった活字をあれこれいじっていた。デザイナーというのはフォントデザイナーなどの一部を除いては、活字のプロではないのである。
しかし、パソコンの普及とともに、どんなド素人が書いたものでも原稿はそのまま活字になってしまうようになった。写植オペレーターという職種の必要性は消えていき、文字打ちのプロ不在のまま、デザイナーの作ったデータがそのまま完成に至る仕組みになってしまったのである。
そして・・・ちょっと英文まじりの印刷物を探してみると、すぐわかる。巷にはアポストロフィーのふりをした「'」があふれかえっているというわけである。ちょっと見が似ていることもあって、ほとんどの人が気がつかないというのもこのマークが氾濫してしまった要因であろう。
たかが文字、誰でも書ける文字。されど、文字は奥深い。ああ、かわいそうなアポストロフィー。
2005年7月29日