若かりし日の犯罪被害未遂体験記
1.
あやしげな仕事依頼
私はまだ20代後半のお年頃。世の中はバブルまっただ中で仕事も収入も十分にあり、若さと、今に比べればかすかな美貌にも恵まれていた頃の話である。
私は都内のマンションの一室で一人暮らしをしながら、フリーランスのグラフィックデザイナーとして日々忙しく仕事をしていた。そんなある日、DU社のXZと名乗る知らない男から仕事の依頼という名目で電話がかかってきた。それ自体は珍しいことではない。この頃若手のデザイナーはひっぱりだこで、誰かしらの紹介で知らない会社の知らない人から仕事の依頼がある、というのは日常的によくあることだったのだ。
だから、たいした不審も抱かずに、「どなたのご紹介でしょうか?」と訊いてみた。ところが相手の受け答えがどうもおかしい。特に紹介者があるわけではなく、会社の名刺ファイルに私の名刺がストックしてあったというのだ。そんな事例は聞いたこともないし、なによりもこの男のしゃべり方が高飛車で非常に感じが悪い。要するにこの時点で、仕事をする気はほぼなくなっていたのだ。
ところが、このタカビー男、こちらに断られる可能性などということは思いもよらないらしく、自分の要求をまくし立てるばかり。私はなんとか断りたいのだが、どうにもきっかけがつかめない。仕方ないから次の電話で断ることにしようかと、会社の連絡先の電話番号を尋ねると、またこちらから電話する、とさっさと電話を切ってしまった。
これはうっとおしい事態になってしまったなあと思いつつも、一応男が名乗ったDU社というのががどんなところなのか年鑑などで調べてみた。フリーランスにとって、つきあい先の会社がどんなところかというのは大変な重要事項なので、これはもう習い性みたいなもの。
すると、そこはそこそこ大手の広告プロダクションで、なかなかいい仕事をしている会社のようである。連絡してきたのは嫌な奴とはいえ、ちょびっと色気が出てきた。とはいうものの、大手のプロダクションにしてはあまりにもやり方が怪しすぎる。やっぱり嘘の可能性が高そうだ。
目的は皆目わからないけど、詐欺かもしれないし、次に男から電話がかかってきた時の対応の方針を決めるためにも、DU社に電話で問い合わせをしてみた。「そちらにXZさんという方はおいでになりますでしょうか」すると、「社内にはそういう人物はおりませんが」との返事。やっぱりね。
さて、この不愉快きわまりない詐欺師、どうしてくれよう。大手プロダクションと知ってちょっと浮かれた自分にも腹が立ってくる。こちらの名刺が相手に渡っていると思うと気持ち悪いことおびただしいし。
こうなってくると、どうしても協力者が欲しいところ。そこで、男友達3人(現夫含む)に相談した結果、こういう手合いは警察に突き出すのが一番、という結論になった。そのためには騙されたふりを装ってXZと会見し、逆にひっかけてやろう、ということになった。
翌日、予定通りXZから電話がかかってきた。警察に突き出す時の証拠品として、電話の話は録音しておく。
相変わらず、実に感じの悪い応対なのだが、じっと堪えて話を先に進めるようにした。XZは数日後に都内の某高級ホテルのティーラウンジでの会見を望んできた。言うまでもなく、普通ではあり得ない話である。作品持ってこいとも言わないし。 まあ、こちらにもこちらのもくろみがあることだし、XZの提案を快諾して、電話を切った。XZはこの時点になってもまだ、電話連絡先を言わない。
こちらは、決行日に備えて入念に作戦を練り上げていった。といっても複雑なことはまるでなくて、ホテルのティーラウンジに行ったら、私とXZのテーブルを囲むように用心棒役の友人3名がばらばらに座り、状況が怪しくなったらXZを取り押さえて警察に連れていく。これだけである。あとは小型の録音機をセットして会見の模様を録音するくらいのものだ。
2.
ホテルで捕り物

さて、いよいよ当日になった。私たちはぞろぞろと約束の場所へ向かった。“用心棒”達はみんな正義のヒーロー気分になりきって、肩で風を切るように歩いているのが面白い。
早めにホテルのティーラウンジに到着した私たちは、店の人達におもいっきり不信感を抱かせながら、別々に4つの席を確保した。私は録音のセットをし、コーヒーを飲みながら男の到着を待つ。十数分程たった頃だろうか、背広姿で三十代くらいの男XZがアタッシェケースを持ってやってきた。声や物言いと同じように、見た瞬間に嫌悪感が吹き出てくるような奴だ。しかも、なんだかソワソワとしっぱなし。この落ち着きの無さは、少なくとも幾度もやり慣れたプロの詐欺師というのではないようだ。まあ、できるプロだったら、まずは被害者に好感を抱かせるんだろうけど、まるで逆をいっているものなあ。
まずは、名刺交換とご挨拶となった。傑作なのは、XZが出した名刺の社名が電話で名乗っていたDU社とは違うCN社という社名だったところ。思わずあきれてそれを指摘すると、なにやら言い訳はしていた。なんて言い逃れようとしたのかは、もう忘れちゃったけど、とても納得できるような内容ではなかったのは確か。犯罪に手を染めようとしている割には、なにもかもがお粗末すぎ。
この後、仕事の話になるはずなのだが、XZは予想通り間抜けにも「昨夜から部屋をとってあるので、そこで詳しい打ち合わせをしましょう」と言い出す。まあ、間違いなく、この男、広告業界のことにはうといとみえる。ドラマなどの半端な知識でえらく派手な世界と思いこみ、仕事を得るためには仕事先の男とベッドを共にするのなんて一般的、などと勘違い妄想をしていたんじゃなかろうか。
当然のことながらきっぱりと断ると、今度はどういう訳かあっさりあきらめ、そしてそれからどういう作戦を立てていたんだかさっぱりわからないのだが、XZは「チェックアウトしてきます。すぐ、戻ります」とアタッシェケースを置いたまま、席を立ってしまった。 話を聞いてない周囲の“用心棒”達は、何事だ、どうしたんだ?と集まってきた。「部屋に誘われたけど、断ったら、チェックアウトしてくるんだってー。ところで名刺が電話で聞いたのと違う会社の名刺なのよねー」彼らはさっそくメモをとり、電話で確認をしてくれた。結果は、どこにも通じないでたらめのナンバー。一応詐欺だとは思っていたが、これで、晴れて警察に突き出せる証拠は出た。また持ち場に戻って、数分後XZが戻ってきた。
さて、いよいよこちらからの攻撃の時間である。「この名刺偽物ですねえ。電話通じないじゃないですか」と言うと、とたんに目が泳ぎ出す。会社名が前回の電話と違うことや、ホテルの部屋で打ち合わせなんていうでたらめなやり方など、矢継ぎ早に責め立てると、XZはついに「もう結構です。あなたになんか仕事頼むのはやめまます」と捨てぜりふを言うと、逃げの体勢に入った。 私も一緒に立ち上がりつつ、用心棒に目配せし、次の瞬間には一斉にXZを取り押さえた。 「これは、明らかに詐欺ですね。一緒に警察に行ってもらいましょうか」
この時点でのXZのうろたえようは当然はなはだしかったのだが、申し訳なくも面白いことに、もしかしたら同じくらいうろたえている人物がいた。最初からうさんくさそうに我々を見張っていたホテルのティーラウンジの責任者である。「ここで騒ぎは勘弁してください。外に出てください」と必死で、我々は見事なまでの素早さで追い出されてしまった。

3.
ヤクザファッションの刑事達
まあ、そんなことでホテルのエントランスに出てしまったので、そのままタクシー2台に分乗して最寄りの警察署に向かうことにした。助かったことに、男は武闘派にはほど遠く、なんとか逃げようとしたり、哀願体勢になるものの、反撃する様子はない。もっとも“用心棒”達は、一発殴りたくてうずうずしてたので、相手が向かってこなくてがっかりしてたみたいだが。
警察署に到着すると、我々は意気揚々と男を警察官に引き渡し、その後ろにぞろぞろとくっついて刑事達がたむろしている部屋に、事情を説明するために入っていった。
が、案内されて部屋に入ったとたん、ぎょっとして思わず足が止まってしまった。他の面々も同様のようである。というのも、たくさんあるデスクに座っていたのはせいぜい5〜6人といったところなのだが、この方々、どう見ても気質の人間には見えないのだ。目つきは鋭く、角刈りやパンチパーマに、派手なシャツの胸元にはゴールドチェーンが見え隠れといったいわゆるヤクザファッションの方ばかり。椅子に腰掛けてその足はデスクの上といった人もいる。刑事って杓子定規に正しいスーツとネクタイの人が多いのかと思っていたのに。まあ、場所柄もあるのかな。
やましいところのない我々がぎょっとなるくらいだから、我々の前を連れて行かれたXZはおそらくびびりまくったことだろう。という効果があるわけか、なるほど。ともかくXZは二人の刑事と一緒に部屋の奥にある取調室に牽かれていった。
この刑事部屋、だだっ広い空間に数十個のデスクが並んでおり、入り口付近には大きなテーブルがいくつかあって、簡単な打ち合わせなどができるようになっている。我々はそこに腰掛けて、ひとりの刑事を相手に事情を説明することになった。 ヤクザファッションの刑事だが、もちろん被害者の私達にはたいへん礼儀正しくにこやかに接してくれる。が、そのすごみのあることといったら。こりゃ、神経の細い犯罪者だったら瞬殺されること間違いなしだわ。
と思っているうちに、XZが連れ去られた取調室から、なにやら怒鳴り声が響いてくる。「この野郎」だの「ふざけるな」だの言う声と何かを叩くようなバン、という音。要するに刑事ドラマの取調室のシーンを彷彿させる音が漏れ出てくるのだ。ドラマって案外かなり真実なのかも。そして、しばらくすると、その不穏な音がする部屋から、刑事が出てきて、他の刑事と取り調べをバトンタッチしたようである。部屋から出てきた刑事は今の今までの迫力全開の怒鳴り声の主のはずなのだが、私に向かって、にこやかに微笑んでくれるのが、なんとも不気味で恐ろしかった。
で、不気味な笑顔の刑事の話によると、私の名刺を電話ボックスで拾ったXZが、なんとか私と仲良く(!)なろうと計画したらしい。XZは奥さんに逃げられちゃってて寂しかったようですよ、だと。今後もし、ちょっとでもあなたに顔を見せたり電話をしたら、次は脅迫で逮捕するからそのつもりで、とさんざん脅しておいたんで、もう心配ないですよ。と、説明されて、事件はおしまい。うんうん、この刑事の脅しだったら、効果絶大に違いない。こりゃ本当に安心だ。
そんなこんなで、終わってみれば、あー、面白かった、なのだが、結局一番印象深かったのは、刑事のど迫力で、肝心の犯人のことは刑事の顔の前には霞のように薄れてしまった。まあ、かかわったのがこの程度の犯罪者でよかった、ということだろう。めでたし、めでたし。
2010年7月26日