職業選択の自由
1.
子どもは将来を夢見る
幼稚園から小学校、高校に至るまで、私の悩みは、早寝早起きをして規則正しい生活をしなければいけないこと、そして、大勢のクラスメートと平和に仲良く集団生活をしなければならないことだった。
ごく一般的で普通の生活というのがどうにも苦手で、幼稚園児の頃からすでに登校拒否ぎみ。そこそこ厳格な親によって、いやなことでも義務は果たすべしと教育されたため、それほど派手にサボることもなかったのだが、朝になると不思議な腹痛だの発熱だのがあるのはしょっちゅうのこと。まあ、よくある話だ。
ごくごくささいなことのように思えるだろうが、本人にしてみれば悩みはけっこう深く、高校までは仕方ないとしても、それ以後は絶対にこんなことからは逃げて逃げて逃げまくって生活しようと夢見ていた。つまり早寝早起きや、規律を求められるような集団の一員にはにはなるまい。間違っても公務員や大企業への就職はすまいと、堅く堅く決意していたのだ。
大人になったら何かがやりたいではなく、何かから逃げ出したいとは、しみじみとネガティブな子どもだったもんだ。
こんな子どもではあったが、「大人になったら何になりたい?」子どもが必ず訊かれるこの質問の答えは、幼稚園の頃は単純に花が好きだから花屋さん。小学生になると好きな物が動物に移行して、動物園の飼育係というのに傾いていった。ここらへんまでは、子どもらしくてオーソドックス。将来の生活全体を具体的に想像できる能力はまだ発達していなかったのだ。
小学生も高学年になり、多少の知恵もついてくると、付随するさまざまなことまで考えられるようになってくる。たとえば、それが自分の能力で可能かどうかということ。動物園の飼育係はまだ魅力的に見えていたが、獣医師の免許取得なんていうのが必要そうだし、理科系の勉強が苦手な私には壁が高そうに思えてきた。
さらによくよく考えると、動物の世話っていうのにはおそらく早寝早起きと規則正しい生活が不可欠である。これは、そもそも大人になったら逃れたいと渇望している生活に反することではないか。いくら相手にするのが動物で、人間関係はそれほどきつくはないかもしれないと仮定したところで、生涯続くかもしれない職業としてはしんど過ぎるよなあ。
2.
理想的な見本
さて話は飛ぶが、私には独身でフリーランスのグラフィックデザイナーをしている叔母がいた。小学生の私にはそれがどんな職業なのかということはもちろんよくわかっていなくて、おぼろげにマークやパッケージなどを作っているらしい、ぐらいの認識だった。それがカッコいいとか、面白そうとか、そういう感想はいっさい抱かなかった。
そんなことよりも私にとってものすごく重要だったのは、この叔母の生活そのものだった。なんたって毎日夜中いっぱい自宅で仕事をしており、寝るのは明け方、起きてくるのは昼過ぎという生活。しかも、私に対しては規律正しい生活にかなりうるさい私の両親や祖母も、この叔母には「フリーのデザイナーなんだからしょうがない」と、実におおらかにこんな生活を肯定する発言をしていたのだ。
私にとって、これがうらやましくなかろうはずがない。しかも、自宅での仕事だから鬱陶しい大勢の人との集団生活だってないではないか。これぞ私にとっての理想の生活といえた。
そして、偶然にも私が5〜6年の時の担任が図工が専攻の先生になったのだ。だからこの時期の図工の授業はちょっと力が入っていて、平面構成のデザインの授業があったり、ちょっと背伸びした色彩心理の勉強などがあって、これがずいぶんと面白かった。特に理論方面ではすっかり夢中になって自分でもいろいろと本を読んだおかげで、ペーパーテストでは常にトップクラスだった(どの教科でもペーパーテストがものすごく多い学校だったのだ)。なんだかグラフィックデザイナーというのはこんなもんかな、とわかったような気にもなったし、成績もいいから当然気分はいいし。
そんなこんなでこの面白さにすっかりはまってしまい、かつ将来の“逃げ”の生活も手に入れられる。私にとっての理想の職業像が、ここに完成したわけだ。そういうわけで、小学校の卒業文集には、すでに「将来なりたいのはグラフィックデザイナー」と書いていた。なんと素晴らしい観察力と探求心の成果。
3.
絵を描くのは嫌いでしかもドヘタ
たいていの人は知っていることだろうとは思うが、実はデザイナーにはデッサン力というものが必要不可欠である。そして通常の場合、デザイナーになりたいと希望するような子は、「小さい頃から絵を描くのが大好きで、地域の展覧会などで何度も賞をもらっていた」といったケースが多い。
ところが私ときたら、小さい頃から絵を描くことは大の苦手で、どちらかといえば苦痛な方。そして人に見られるのが恥ずかしいほどのドヘタ。こんな子がおもいっきりひね曲がった理由からデザイナーを志した。
まあ、志すのは自由だからいいんだけど、このままじゃデザイナーになるなんてとても無理。小学校時代まではなんとか見ない振りでやり過ごしてきたが、中学生にもなって、デッサン力皆無でデザイナー志望というのは、いささか無茶だし恥ずかしい。
自分の能力と将来の展望を天秤にかけてよく考えた結果、「この理想的な希望をあきらめるというのはあまりにももったいない。ここは努力で補うという方法で突っ走ってみよう」という結論に達した。
そこで、中学に入学してしばらくたった頃、密かに本屋で「デッサンの基礎」などという書籍を何冊か購入して、本に描いてある絵の模写を毎日毎日続けるという自己流勉強方を採用したのだ。
この年頃の子の発達はなかなかおそるべきものがあって、半年もこんなことをやってると、絵を描くことがあれほどドヘタだったのが嘘のようにめきめきと上達、2年生になる頃には美術の先生に絶賛されるまでになった。
こうなってしまえば、もはやデザイナー志望を邪魔するものはなくなったも同然。あとは地味にちょっとずつ努力を続ければいいだけ。人間大きな野望があれば努力でなんとか克服できるものだ。
朝寝坊が大きな野望というところはなんなんだが。
4.
社会人になってもまだ
子供時代にこれだけクリアに目標を設定してしまったので、あとは目標に向かってひたすらまっしぐらだったのだが、社会人になったからといっていきなりフリーのデザイナーになれるというわけではない。なんたって本物のデザイナーがどこから仕事をもらって、どんな仕事をどうやってしているのかすら知らないのだから。
だから、とりあえず現実のデザイナーの仕事を覚えるためにどこかに就職しなければならなくなった。就職の条件は私の場合は、世間の方々とは真逆。できるだけ弱小で社員が少ない事務所ということが条件だった。
多くの人の反対を行けば、道はまったく容易に開ける。何の苦労もなく即座に就職先は決まった。フリーランスのデザイナーのアシスタントで、その事務所は会社組織ですらなかった。これからフリーランスを目指す私にとっては、本物のフリーランスのところで働くのだから、ある意味、理想の状況だったかもしれない。
ただ、このデザイン事務所は最初こそ、会社ではなかったものの1年後には株式会社になり、社員もじわじわと増え、5〜6人にまで成長した。結局ここにいたのは4年。一通りの仕事を覚えると、計画通りきっぱりとフリーランスになることにした。
計画通りとはいえ、組織の住人からなんの後ろ盾もない個人になるのは、やっぱりかなり度胸がいる。そのため会社員最後の数ヶ月はフリーになってからのためにすでに活動を開始し、別の会社の仕事をアルバイトとして平行してやっていた。おかげで毎日眠くて、会社ではかなりさぼりぎみという不良社員だった。
こんな風に多岐にわたって、この会社にはずいぶんお世話になった。いろいろ勉強させてもらい、無事にフリーランスになれたのはこの会社のおかげ。まったくありがたいことだ。
5.
理想の生活は現実になったか
社員をやめ、いよいよフリーランスとしての生活が始まった。あこがれの“理想の生活”だ。そして、いきなり夜更かし朝寝坊の生活になった。だが、これは自由意志というよりも仕事の流れによる必然によってだった。
どういうことかというと、つきあい先の会社がたいてい朝は遅く、夜中まで仕事をしており、打ち合わせの多くは夕方以降というリズムだったのだ。相手に合わせればどうしても夜更かしせざるを得なくなる。しかも、フリーになりたての若手なんていうものは、発注側にとっては無茶な注文し放題できる便利なしろもので、超急ぎの仕事も、徹夜仕事も当たり前の日常だった。
とにかく、現実のフリーランスのグラフィックデザイナーというものになってしばらく生活するうちに明らかになったことは、フリーランス=自由業の言葉の意味は、束縛されずに自由に仕事ができる、というよりは、発注側に自由自在に扱われても文句が言えない仕事環境の職業という意味だったのだということだった。
こういうのが理想と現実のギャップという奴なんだろう。それでもなお、朝寝坊できて集団生活無しの生活は私にとってはたいへんにうれしいことだったが。
その後何年もそんな生活が続いた。そのうち若手というような年齢ではなくなる頃になると、付き合い先も以前ほど無茶はいわなくなってきた。夜もそれほど遅くなくなったし、徹夜仕事なんていうのもなくなった。私の方も、犬を飼って仕事以外の生活を楽しむようになったのだが、これはある意味過去の自分に対する冒涜だったかもしれない。動物の世話っていうのは規則正しい生活と早寝早起きが必須だということを、小学生の時点ですでに洞察していたのにかかわらず、あれほど綿密にたてた計画を自らぶっこわして、日の出と共に起きて散歩という日々を十年以上もせっせと続けてしまった。
これだけ周到にあれこれ計画してきたというのに、やっぱり理想の生活を貫くのってしみじみ難しい。まあ、いまや夜更かしや朝寝坊にはそれほど魅力を感じなくなってしまったからいいんだけど。つまりあの情熱は歳と共になくなってしまったんだなあ。私の人生設計の基本となった絶大なる情熱だったというのに。ああ、感無量。
2010年8月7日