下水道物語 第二部
1.
まずはプロジェクト方法論
第一部での騒動の話は以前書いた通りだが、同時進行で第二部の物語も始まっていた。第一部はとりあえずの収束を見たが、第二部、すなわち老朽化した下水管全とっかえに関しては、数年単位の大プロジェクトになるのは必至。なんたって合意をとらなければならない人数だけで二十数人もいるし、その内数人は行方不明という状態。どれだけの人が協力して実際に動いてくれるのかもわからないし…。
それよりもまず、このプロジェクト、最終目的は下水管の全とっかえなのだが、まずはその方法を考えることから始めなければならない。
第一の方法は私道助成。公共性の高い、通行人が通過するのが日常的な私道の場合、下水道が老朽化して全面的な工事が必要な状態にあると区が判断してくれれば、新宿区の場合、区から工事費用の8割の助成金がおりるらしい。つまり住民の負担は工事費用の2割だけですむ。
そして第二は、この私道を区道にしてしまうという方法。区道になってしまえば、もはや後は放っておいても区が維持管理をいろいろやってくれるようになる。要するに工事費用は只。
それぞれのメリット、デメリットは、というと。
私道助成のメリットは、話がそれほどややこしくならないことにつきる。基本的には今のままということだから。デメリットは2割の工事費用は住民が負担しなければならないということ。下水道工事というのはそうとうな費用がかかるので、2割といっても馬鹿にならない。さらに、この助成が通用するのは1回こっきり。工事後に、部分的に下水道が破損したりする事故があったら、破損現場の近隣数件で全額負担となる。第一部の騒動の時のように。
区道にしてしまう方法についてのメリットは、いうまでもなく、いったん区道にしてしまえば後は費用の面を含めて全部区がやってくれるから、何も考えず、何もしなくてよくなるということ。デメリットは、私道を区道にするということ事態がとんでもなくややこしくて面倒だということ。
新宿区の場合、正しくは幅員4m未満の場合は特定公共物というらしい。要するに今後全戸がセットバックをすれば正式な区道になるはずの道路
2.
私道を区道にするには
区道が素晴らしいというのは、明らかな事実。なんたって半永久的に維持管理すべてを区が只でしてくれるのだから。私達も強くそれを望むし、よその家だって、特に子供や孫がいて、引き続きこのあたりの家に住むという世帯にとっては大いなる恩恵になるはずだ。
だから私道を区道(公道)にしたがっている人は大勢いる。にもかかわらず、できないケースは多い。
第一の関門は、区(自治体)がその道路を欲しがるかどうか。
区道が増えれば、そのメンテナンスに費用がかかるので、区としては手放しに欲しがるわけにはいかない。公共性の低い道路の場合は、たとえ寄付を申し出ても「区ではその道は欲しくありません」と、辞退されてしまうんだとか。
こうなったらいろいろ準備したところで、すべてが水の泡になってしまう。だから前もって区役所の土木課に行って、確認をとっておかないとならない。
「そこなら区道として認めてもいい」という区の確認がとれたら、次に、私道の所有者が全員、私道部分の所有権を放棄して、持ち分を区に寄付しなければならない。さらに、セットバック部分にについても同じ。我が家でもセットバック部分があるので、この部分を区に寄付しなければならない。
なんだか、只で区にあげちゃうなんて、すごく損な気がするかもしれない。しかし、こういう公共で使用せざるを得ない道路というのは、実は所有してはいても、資産価値は0。だから固定資産税も0なのだ。
それだけではない。私道のままにしておけば、下水道に限らず、傷んだ路面の舗装や、街灯の設置など、今後費用が発生する可能性はいろいろあるのだから、これを毎回住人達や私道所有者の合意をとりつけ、費用を割り振りするのは、大損もいいところ。要するに私道を所有するっていうことは、資産価値0どころか、マイナスの資産と考えてもあながち間違えではないだろう。 こんな理不尽な話からは、早く抜け出したいところだ。が、果たしてこういうことを全員がきちんと理解してくれるかどうか。
3.
ご近所の家庭の事情
第一部の話の中に書いてしまったのだが、今回の話は、すでに道路の所有者の調査から始まってしまった。だからちょっと順番が前後してしまったのだが、状況から考えて、この道を区が区道にするのを拒否することはまずあるまいと、とりあえず所有者問題をざっと眺めて考えてみることにした。
所有人数の多さや、行方不明の所有者という問題は一目でわかった。なんたること…と暗くなったのも前回の話で書いたのだが、実はそれはまだまだ序の口だったのだ。
法務局でとってきた土地の登記書類をつらつらと眺めている内に、夫があることに気がついた。なにやら金融機関の名前が書いてある部分がある。じっくりと読み込んでみると、抵当権設定の文字が。なんとこの土地を担保に借金をしている人がいるらしいのである。しかも2世帯。これにはあせった。いくら公開の書類とはいえ、ご近所の秘密を暴いてしまったようなうしろめたさ。 が、この際そんなことは言っていられない。さらに深く読み込むと、1世帯については都市銀行からの割とノーマルな借入金のようで、問題といえば問題だけども、それほど大きなトラブルではなさそう。
しかし、もう1世帯のは、日付を変えて何度も抵当権が設定され直されている。しかも、抵当権者は消費者金融だし、損害金という文字も見えるし、最後のは債務者が別の人にすり替わってる。素人の私たちにはとても計り知れない複雑な事態になっているように見える。
そこまでわかったところで、これはかなりまずい、少なくともこんな話をご近所に広めたりしたら大変なことになってしまう、と気がついた。この書類、すでにご近所の2世帯の方に渡してしまっていたので、あわててなんとかごまかしつつ用紙を回収し、抵当権の部分を消去してコピーした書類とすり替えて渡し直した。いやはや、こんな事態はまったく想定外だった。
いきなり超難問をかかえて、先行き真っ暗という気分である。
4.
区議会議員KW氏登場
さて、次なる展開の話がでてきた。水道屋のYGさんは、今度は知り合いの区議会議員を私達に紹介しようというのだ。なんだか我々夫婦はすっかりこのプロジェクトの中枢に組み込まれてしまっている。新参者だって言ってるのになあ…。
そして、ある日、夫が留守をしているというのに、突然YGさんが区議会議員のKWさんとともに我が家にいらした。あせったのなんのって。
仕方ない、ふたりを招き入れ、法務局でとってきた書類を見せつつ、現状説明をする。抵当権がついている話も含めて、かなり困難な状況であることも。
私たちはいったん始めると、ものごとを詳細に深く調べあげるのを得意としているので、KWさんもこちらの知識がしっかりしていることを確認したようである。丁寧に話を聞いてくださり、たいへんに難しいことはわかったけれど、ここでああだこうだいっていても判断できないので、とりあえず区の土木課にアポをとって、実行可能なのかどうかを一緒に話をしに行きましょう、ということになった。
やっぱりこういう活動をしようと思ったら、議員の力が借りられると違うんだろうなあ。まったくの未体験ゾーンなのでよくは知らないけど。
5.
区役所へ。本格始動
そして数日後に、いよいよ区役所行き。考えてみたら私はもう、20年以上も新宿区民をやっているのにかかわらず、新宿区役所って横を通り過ぎるだけで、中に入ったことがなかった。印鑑証明だの住民票の移動なんかは、ぜんぶ出張所でやってたもんなあ。
しかも、区役所初体験の私たち夫婦はその後、YGさんと一緒に議員控え室という普通じゃあんまり行けないような部屋に行って、議員と打ち合わせをするという体験までできてしまった。政党別に部屋がいくつかに分かれていて、ちょっとだけフォーマルな匂いがあるけど、割とチープな感じの部屋だった。幾多の陳情が、この部屋内に飛び交っているんだろう。
とにかく、夫と議員のKWさんはこの時初対面。ざっと前回のおさらいのような話をした後、4人うち揃って、土木課へでかけていった。
土木課の担当者には、予め議員のKWさんから話は行っており、その道路ならば、住人と所有者の合意さえとれれば、間違いなく区道として認めましょうという。以前からここは区道にするべきだ、との話はでていた道らしい。そりゃ、そうだろうなあ。住人が十数年間も私道だなんて夢にも思わないほど、公共性の高い道路だもの。
ただし、それも同意がとれて寄付をしてもらえればの話。
当然のことながら、抵当権がついている土地を寄付するなんてできないわけだし、となると、もはや区で口出しできるレベルではなくなるそうで。
だいたい、こういう私道に抵当権がつくということは、地所とセットで担保にしたということ。本来ならこういう公共性の高い道路は資産価値が0なのだから担保にする意味はないはずなのだ。だから都市銀行などでは、こういうケースの場合、抵当権をはずしてくれることが多いそうなのだが、消費者金融ではまず無理だとか。資産価値はなくとも、資金回収の心理的拘束にはなるものねえ。やっぱりここが最大の関門のようだ。
そもそもそんな話を誰が本人に伝えにいくのか、考えただけでも恐ろしい。逆ギレされても不思議じゃないような話だもんなあ。
まあ、話がいきなり抵当権なんて部分にいっちゃったもんで、ああでもない、こうすればと複雑になり、1時間以上に及ぶずいぶん長い会議になってしまった。さすがに区議会議員のご威光で、担当の人も辛抱強くつきあってくれた。だからって、ウルトラCの解決策が出たわけじゃなかったんだけど。
やっぱり、手順通り全員の寄付を承諾してもらう以外には区道への道はないだろう。ということでこの日の会見は終了した。やれやれ。
6.
プロジェクトの代表者を決める
さて、今の段階でこの下水道問題を本気で憂えているのは、直接は関係のない水道屋のYGさんと、我々夫婦の三人だけ。なんたること。お隣のFKさんは話はわかってくださってはいるけど、お任せします状態だし、第一部騒動の該当者になったその他の人達も、ウチみたいにトイレを我慢するような直接的な被害にあっていないので、まだまだ他人事っていう感じ。
そんな状況の中、なんとかみなさんの危機感を煽っていかなければならない。そこで、なにはさておき、まずはこのプロジェクトの代表になってくださる人をかつぎ上げることにした。古くからこの地域に住んでいて、危機感を共有できて、地域貢献に尽力してくださりそうな人。
YGさんがこの人ならば、と当たりをつけたのは、今回問題になっている道路の両側に1件ずつアパートを持っていて、下水問題の切実さをわかっているOIさん。実は私たちは、ご近所さんながら顔も見たことがなかったのだが、ありがたいことにYGさんが交渉して、承諾をとってくれた。
それにしても、第一部の騒動の依頼をご近所の水道屋に決定したというのは、まったく快挙だった。これほど近隣の下水道事情に詳しい人はいないし、おまけに古くからの住人達に関しては、個々の性格だの一族の軋轢に至るまでいろいろわかっているので、細かい部分にまで気配りできる、頼りがいのある人物なのである。
そんな地元に詳しいYGさんの話では、このあたりに古くから住んでいる人達は割と偏屈で人付き合いをあんまりしない人が多いらしくて、私たちが15年程も住んでいながら、会ったこともなかったり、話をしていなかったりというのも意外なことではないようなのである。
代表になってくださったOIさんも人づきあいは非常に悪いらしいし、さらに先代のおばあちゃんは口と愛想が悪いので有名だったとか。そういえば私達が引っ越してきた際に声をかけたら、けんもほろろの扱いをうけたのは、この先代のおばあちゃんだったんだなあ。都会の住宅地って、本当に不思議な空間だ。でも、そんな人がよく代表を引き受けたなあ。これも不思議。
7.
説得工作のためのツール
さて、このあといよいよ個別撃破をしなければならないのだが、我々夫婦は水面下の動きや事務処理等は喜んでやるが、表だった対人交渉はいっさいやりません、ということを強くYGさんにアピールした。
やっぱりそういうのは、おじいちゃんの代から住んでいるような人を差し置いてはできないし、そもそもそういう活動は苦手だし。
というわけで、我々が得意とする部分での協力をすることにした。それは説得工作のためのツールを作ること。
ツールの内容は、地図のこの部分の道路は実は私道なのだということを見せ、その私道部分の下水道の状況が現在どれだけ危機的であるかということ、現状ではトラブルが起きたら自腹を切らなきゃいけないということ、この状況を理解してなんとか解決する方法をみなさんで模索しましょうという、呼びかけである。
いきなり、私道を区道にしましょう、なんて始めるのは抵当権の問題をかかえるこの地域では、危険な気がしたので、みんなで考えてみましょう、というスタンスにしたのだ。
こんな呼びかけツールを作り、代表者も明記して、プリントアウトした。それをYGさんが、まずは代表のOIさんに渡し、その後は、YGさんとOIさんが一緒に地域のキーマン数人に配りながら、活動には金も労力もかかるということも含めて説明してくださった。
その、反応は…いまのところ、あまり芳しくない。地域のキーマンに、というのは一緒に活動をしてくださる人材を確保する目的もあったのだが、それはまるで当てがはずれた。
たくさんの土地を所有し、借地にしている地主のGKさんは、状況を説明しても危機感を持ってはもらえず、自分で動く気はまったくなさそう。YGさん曰く「ここは昔からこんな風でしたよ。たぶん積極的な協力は無理でしょう」。まったく、資産家のくせに。
でも、最近引っ越してきた法人のNBはたいへんに協力的。「持ち分の道路は寄付しましょう。必要な経費も出します。ただし、新参者なので実際的な活動については、やっぱり古くから住んでいらっしゃる人におまかせします」ということ。どうも、うまくいかないなあ。
あとは、昔からかなり広いアパート経営をしているTDさんだが、ここは主がおっそろしく偏屈者で、YGさんですらまともに話ができない程の人なんだとか。ただし、娘さんとはお付き合いがあるらしく、すでに嫁いでしまっている娘さん経由で話を進めることになった。その結果、とりあえず話は了解してもらえたようであるが、もちろん積極的な活動支援は無理。
同じく古いアパートの持ち主のTKさんは、「旦那さんが健在の頃だったら協力してもらえたんだけどねえ」ということで、反対はないだろうけど、説得工作に加わるとかの活動の協力は無理のよう。
とにかく、この地区の地主さん達、揃いも揃って癖のある連中が集まっているらしい。今まで蚊帳の外という感じで、地域のことにてんでうとかったウチに、こんな風に情報が集まるようになってしまった。それはそれで面白いといえば面白いけど、たいへんなメンツばかりで果たして肝心の話は動くのだろうか。不安要素の情報が多くて困ってしまう。
8.
かすかな進展
その後、水道屋のYGさんは代表のOIさんと地道に一件ずつ話をして回り、時折状況を我が家に届けてくださる。
今回は、前述の非協力的だったGKさんが今度アパートを新築することを計画し、それによってようやく下水道の重要性と現在の危機的状況を理解したんだとか。やっぱりこういうのって、自らに火の粉がふりかからないと真剣に考える気にならないんだということがよくわかる。ウチだって先日の騒ぎがなきゃ、それこそ対岸の火事で、のほほんとしていたのはまず間違いない。人間って結局こんなもん。ああ、それにしてもYGさんは偉いなあ。
9.
急展開。そして尻切れトンボの結末
ここまで事態が進行したあたりで、諸事情が重なって、急転直下の結末がやってきてしまった。なんと我が家が千葉県に引っ越しをすることに決まってしまったのだ。このあたりまではなかなか楽しめたプロジェクトではあったが、残念というか、ほっとしたというか、残る方々に申し訳ないというか、いろいろ複雑な心境である。
そして現時点でこの家は売り出し中。不動産屋にも事情は一通り説明してはあるが、どうなることやら。不動産屋は「山の手線内の好立地物件、南道路!日当たり通風良好!」なんていううたい文句の、実に魅惑的な広告を作ってきてくれた。それにはよく見ると、「接道:私道、SB済」とそっけなく書いはてある。私たちが買う時にも当然書いてあったんだろうなあ。で、よく理解しなかったわけだが、次に買う人はどうだろう。なんとなく後ろめたいような気分もちょこっとある。が、私道の本当の怖さがなんて、実際に経験しなきゃわかるわけがないし、わざわざ解説してあげるわけにもいかないし。
なんにせよ、せっかくここまで進めたプロジェクト、新住人さんにもぜひ活動を引継いでがんばってもらいたいところだ。熱心に活動してくださっているYGさんも我々の引越しにはがっかりしちゃったようだし。
気合を入れて始めた活動だったのだが、すっかり尻切れトンボのフェードアウトということになってしまい、プロジェクトレポートも完結せずの終章とあいなった。ま、人生、こんなこともあるさっていうこと。
しかし、この騒動での切実なる教訓。自治に関わらなくてもすむような無責任で自由な地域は、たいへんお気楽な反面、危険がいっぱい。引っ越し先では、自治会がしっかりしていてちょっと鬱陶しそうだけど、せいぜいがんばって参加しようっと。
2010年9月18日