30年ぶりに千葉県民
1.
引っ越しを決意
昨年秋、新宿区から千葉県習志野市に移転した。私が子供の頃に住んでいた家だ。理由はこの家に住んでいた両親が数年の間隔をおいて相次いで他界してしまい、家が無人になってしまったから。もちろん、習志野の家を売るという選択肢もあるにはあったのだが、あれこれ検討の結果、引っ越しという結論になった。
どんな検討をしたかといえば、新宿の家がもう築15年になってしまい、雨漏り騒ぎだの下水道騒ぎだのが記憶に新しく、ぼちぼち大きく手を打たなければいけない潮時だったこと。対して習志野の家は築8年で、かなりしっかりとした構造のもので、まだほとんど傷みもない好条件にあったこと。
それに、習志野の家の近所で最近売り出していた物件があったのだが、最初は家付きで1年くらい売れず、ついに取り壊して更地にし、さらに2分割してやっと売れたというのを見てきたというのもある。
習志野の家は確かにそこそこ新しくてしっかりしたいい建物なのだが、実は私の父が設計したもので、とにかく変の一言につきる家なのである。だから、まず家付きで売れるとはとても思えない。かといってまだ新しくてこんないい建造物を壊すのももったいない。ここは我々が、変を承知で住んでみようということになったのだ。
場所的な話をすれば、自宅を仕事場にしている私達の場合、仕事の付き合い先が都内のため、行き来は一挙に不便になってしまう。が、考えてみれば、十数年前ならばともかく、今はメールやネットでほとんど用が足りてしまい、仕事先との行き来もあまりない。遠いとは言っても普通に通勤圏内に入る地区だし、バリバリに若い時だったら躊躇するけど、もういいかげん歳も歳だから、ちょっとくらいペースダウンしてもかまわないような気もするし。
あれやこれや考えると、新宿の家を売って習志野に移住というのがいいように思えてきた。なにより、下水騒ぎ渦中の新宿の家から逃げたかったというのが大きかったかもしれないが。
2.
変な家
さて、さきほどちらっと触れたが、習志野の家は変だ。まずは、都心への通勤圏の住宅地にあるまじき贅沢な平屋であること。平屋でも古民家のように屋根の中央部が高いので、真ん中の部屋の天井が異常に高いこと。真っ当な玄関というものがなく、昔の農家のように入り口が二間ほどの土間になっており、ドアではなくて掃き出しのガラス戸だということ。OMソーラーという、太陽熱を利用し、家の中を空気が循環する仕組みの家だということ。物置として使っている屋根裏部屋があるのだが、そこに上るにはまず脚立で押入の上段に登り、さらにそこからはしごをかけて登らなければ上がれない作りになっていること、等々。
他にもトイレはそれほど大きくもない平屋なのにふたつもあり、一つは設計ミスでものすごく小さく、もうひとつは広くて入り口がふたつある。また、これは気持ちいい変だけど、バスルームは馬鹿でかくて唖然とするくらい。天井が高いから、日常生活において脚立は必要不可欠。電気工事の人なんかがきても持参の脚立で間に合った試しがないし、天窓があるのだが、ここへはもはや脚立に登ってすら手が届かない、という具合だ。
さらに変の度合いに拍車をかけているものもある。DIY大好きだった私の父が作った幾多の構造物だ。あちこちに多数散在する棚のたぐいやデスク、自分で設置した照明器具、天井に穴を開けて電気コードをひっぱり込み、コンセントまで自作してある。これらは変なだけでなく、醜悪かつ危険度も高そうという最悪の代物なのだ。
こんなにも変な家ではあるのだが、実は基本構造はけっこう良くて、壁は分厚いし、床は無垢の板張りだし、天井が高いのは不便な反面贅沢でたいへん気持ちがいい。それになんといってもガーデニング趣味の私にしてみれば、広い庭というのがとてつもなく魅力的に見える。というわけで、変な家を楽しもう!というコンセプトの元に移住を決意したのだ。
3.
実はけっこうお洒落な家かも
引っ越しを決意したものの、この家には私の両親が住んでいたので、当然ながら家財道具がぎっしり詰まっている。なので、我々は箪笥や冷蔵庫、電子レンジ、鍋釜食器、調味料や洗剤のたぐいに至るまですべてダブルの物持ちになってしまった。引っ越しをするためには、まず、ふたつづつあるこれらのうちどちらかを選び、捨てる算段をしなければならない。まだ使える道具を捨てるというのは、なかなかに神経の疲れる作業だった。それに、あれこれ使わないような物を山ほどためこんであったものも、ある程度捨てなければこちらの荷物が入らない。
だから、まずはいらないものを大雑把に選別し、業者を呼んで、家の中のあれやこれやとと庭にころがっていたがらくたなどを廃棄してもらった。最近は物を廃棄するにはとてつもなくお金がかかるようで、これだけで40万円!しかも、棚類など当座は必要だが引っ越し後には処分したい不要品がまだまだたくさん残っている。
そして、同時進行でとりかかったのは、父が作った変で醜悪で危険そうな各種工作物をすっかり取り壊して撤去すること。なんとも薄情な話に聞こえるが、昔から同居家族は大いなる被害者で、ずーっと迷惑していたという歴史があったため、まったく躊躇はなかった。まあ、家族以外にはわかるまいなあ。
そして、その撤去作業たるや。壁や床には釘やモクネジで棚やらデスクやらががっしりと止めつけてあり、いったいそれらを何百本抜いたことか。悪いとは思うけど、解体作業中にも亡き父への悪態の嵐だったのも無理ないことだ。
さて、このあたりでなんとか荷物の入る余裕ができたので、引っ越しとなった。重複した家具家電などは、現役のものを泣く泣く処分したが、消耗品などはダブルのまま。開封してある洗剤や醤油などがふたつづつあるというのは、場所ふさぎだし、かなりストレスになった。
引っ越しの次にやったのは電気工事。あまりにも野暮ったい照明器具をシンプルなものにつけ変えると、部屋の様子がだいぶ落ち着いた。
その後飾り棚などを次々処分して部屋がすっきりしてくるに従って、うれしいことに「変」は「けっこうお洒落」に変わってきた。なんだ、構造は相変わらず変だけど、家の見た目は実は格好よかったのか。
4.
庭の様子
家の中は、野暮ったい家具や照明、さらに父の構造物のせいでずいぶん印象が悪かったのと同様、庭の方も美しいとはとても言いがたい状況だった。
なによりもまず、家の3方向を囲うフェンスは40年前に作った時のまま。それもたぶん当時一番安かったに違いないもの。当然あちこちが、ゆがんだり錆びたり破れたりしている。のみならず、土台のブロックとフェンス部分にかなり隙間が開いており、そこから猫が侵入してくるのが気に入らなかった父の手によりブロックの上にモルタルが汚らしく盛り上げてある。さぞや両隣と裏のお宅では迷惑に思っていたことだろう。
その他にも、半分腐ってナメクジが住んでいるような作業台が置いてあるし、板切れや角材、園芸用の支柱、植木鉢などが汚らしく点在している。
花壇の囲いはビール瓶だし、廃材やがらくたを花壇の仕切や支柱に利用するなどして、小汚くまとまっている。
おまけに私の家族はみんな植物が好きだったので、後先考えずに買っては植え、買っては植えした結果、30センチ間隔くらいで樹木が植わっているような場所すらあるような超過密状態。また、40年にも及ぶ長い歴史の中で、家は建て直しているし、納屋やガレージ、池などをを作ったり壊したりしたせいで、ちょっと地面を掘ると、コンクリートやブロックのカケラなどがざくざく出てくる。
そんなぐちゃぐちゃの状態の庭だったので、できることなら更地にしてきちんと計画立てて植栽したいところだ。が、やっぱりある程度大きくなった樹木などはなかなか引っこ抜くのも気が引ける。それに、近所の人々に「お父さんがよく庭いじりしていてねえ」「その桜は毎年きれいに咲くんですよ」「バラが咲くのが楽しみで」とか言われちゃうと、どうにも困ってしまうのだ。いろいろご近所にも気を使うことがあるもんだ。
そんなことから、かなりの部分を残して計画しようかどうしようかとずいぶん迷った。だが、撤去はたいへんそうだから残そうと考えていた庭内部にあったブロック塀の残骸は亀裂がはいってて危険ということがわかり、そこを撤去するとなると築山になっていた部分を崩さなければならず、必然的に大きなザクロや夏みかんは抜くことになってしまった。だから結局はほぼ全面撤去で、残ったのは垂れ桜や柿など数本のみ。
重機が入って木を引っこ抜き、ブロックをくずし、埋まっている池の残骸をほじくり出すというそうとう大がかりな整地作業になってしまった。まあ、おかげで心機一転というか、好き放題にいじれるようになってさっぱりしたが。
5.
本格的ガーデニング始動、そして
庭を整地することに決めてからはずっと、冬の間中かけて庭のデザインをねちねちと考えた。生まれて初めて自分でガーデンデザインができることになったのだから、ここはかなり真剣である。庭の俯瞰図を描き、レンガ敷きのフォーカルポイントと小道、詳細な植栽計画を描き入れ、修正を重ねていく。
そして、庭の整地が済んだのが早春。いよいよ庭造りの開始だ。苗の植え付けなどをするには時期的にもとてもいい。
まずは庭の真ん中にアメリカヒトツバタゴを植え、サカキや新宿から持ってきた鉢植え数本も地面に植えた。このあたりの樹木を中心に庭を形作っていく予定である。小道を敷いていくためのレンガもどっさり買いこみ、それが届いてガレージに積み上げられたので、さっそく縁側の上り口あたりに一部を敷き詰めてみた。敷き方がへたくそだからがたがたしているけれど、色目などはなかなかいい感じである。翌日にはコニファーが数本届いたので、これも植え付けた。
そして、数時間後。かの大地震が起こった。
ベイエリアに位置する我が家は、ご存知液状化の被災地となってしまったのだ。
ここからの話は、別立てにする。要するにガーデニングとやらは、この騒ぎでまるまる1ヶ月以上、ぶっつりと中断してしまったのである。
2011年5月3日