被災者の生活
1.
大地震勃発、そして液状化
3月11日午後2時45分頃、東日本大震災の最初の揺れのその時、私と夫は家の中にいた。ものすごい揺れにびっくりしてとりあえず揃って庭に出たが、地面がまるで船であるかのようにゆらゆら揺れているのがわかる。家の前に立っている電柱は今にも倒れてきそうなほど揺れている。
まず考えたのは、去年まで住んでいた新宿ではいろいろ頭上からの落下物がありそうだし、家そのものが細長いため、崩れそうな気がしていたが、平屋の戸建てでさらに広い庭があるというのは、なんて大きな安心感があるんだろう、ということだった。
ただし、安心感があるとはいえ、かつて経験したことのないほどの大きなそして長時間の揺れには、庭に立っていてさえ恐怖に襲われる。
家の前の道路には、同じようにびっくりして家の中から飛び出してきた住人達が次第に増えてきた。十分ほどした頃だろうか、ちょっと離れた道路の一部に異変があった。汚い水がどこからか湧き出てきたようなのである。下水管が破裂したんだろうか。人々が周囲に集まってなんだろう、とのぞき込んでいる。
そうこうしている間も激しい揺れがあり、どこの電柱もものすごいしなり方で、「電柱のそばは危ないから離れて」などの声も飛び交っている。ブロック塀にひびが入ってしまった家もある。
我が家のすぐ前の電柱もあんまり大きく揺れるので、電柱の付け根とアスファルトの道路の間に隙間が開いてきた。そして、そこからもグレーの泥水が湧き出てきたのだ。いったい何がどうしちゃったんだろう。
そのうちご近所の人々の何人かが「これは液状化だ」と言い出した。文字面では知ってはいても、実物を見るのはもちろん初めて。さらにこれが具体的にどんな被害をもたらすのかも、いまいち理解にとぼしい。
時間とともにあっちからもこっちからもという感じで泥水の噴き出し口は増えていき、同時にその勢いも増してきた。だからといって住人達には何ができるわけでもないし、何をやるべきなのかもわからない。せいぜい長靴に履き変えて、危ないからガスと水道の元栓を閉めて、ブレーカーを下ろしたくらいで、あとは泥水が噴出する不気味な光景を魅入られたようにじっと見つめていた。
その間にも断続的に何度も大きな揺れがくるので、道路やブロック塀などにできた亀裂はどんどん大きくなっていく。そして泥水はいったいいつまで続くのかというくらい、延々噴き出していた。
泥水というのはいわゆる土色ではなく、セメントをゆるーく溶かした溶液のような感じのものだ。そして、なんたること、我が家の庭には4ヶ所の吹き出し口ができたため、ほぼ庭の全面が泥沼と化した。その上、家のすぐ前の道路の電柱の付け根もお向かいの家にも吹き出し口があるので、家の前の道路もすっぽり泥沼で覆われ、側溝は完全に沼の下に沈んで見えなくなった。
それでも終わりはやってくる。泥が噴き出していたのはほぼ1時間くらいか。次第に噴出の勢いが弱まっていき、気がつくと止まっていた。
泥の噴出が収まってくると気になるのが近所の様子。この町はいったいどれだけ被害にあったのだろう。とりあえず町内を自転車でぐるっと回ってみることにした。まず西側に行くと、道路があきらかに隆起している。変形した道路に押しつぶされた形で両脇の側溝は壊れて幅が狭くなっており、電柱や街路灯は軒並み斜めになっている。また、一番隆起している道路中央部は縦方向に延々割れ目が入っている。この辺は隆起しているだけあって泥水の量はそれほどでもなかったが、地形の変化がすごくて自転車で通るのはやや危険そうだったのでUターンして逆側に行った。
東側に行くと泥水の密度が高くなってきた。我が家の前の道路よりもずっと広くそして深く泥水に埋まっている。途中まで行ったが、道路に堆積した大量の泥に自転車のタイヤが埋まってしまい、動けなくなったので引き返した。
次に真ん中の通りを北に向かってみた。こちらは泥の量が少ない代わりに電柱が何本も斜めになっている。倒れた電柱が住宅の石塀を直撃して塀が崩れているところも多いようだ。
もっとあちこち見て回りたいところなのだが、町全体ががたがたと傾いでいる感じでどうにも危険そうなので、これくらいで家に戻ることにした。
2.
見えてくる地震の被害
揺れもだいぶ落ち着いたようなのでブレーカーを戻し、初めてテレビをつけてみた。東北の太平洋岸が津波の被害で愕然とするような状況になっているようだ。あれだけひどい揺れだったものなあ。だが、それ以外の被害についてはまるっきり報道していない。都心はいったいどんななの?やっぱり一番気になるのは、数ヶ月前まで住んでいた家だ。テレビに写るのは東北の津波被害のことばかりだが、少なくともテレビ局は無事なんだろうなあ。さっぱりわからないので、以前の隣人にメールを送った。
気持ちがざわついてなにをやっても落ち着かない。テレビでの情報も見たいけれど、体を動かしていないとなんだか不安だ。
再び外に出ると、様子が変化していた。庭の泥水からも側溝や道路の泥水からも徐々に水分が土に染み込んだり流れ出たりしていき、後に残ったのはずっしりと重くて粒子が細かいグレーの汚泥。泥沼は消え、塗り固めたばかりの水っぽいコンクリートといった感じに変貌していた。
さらに我が家の庭は、推定町内で一番というほどの大量の泥が堆積してしまった。というのも、どういうわけだか泥の噴き出し口が我が家の庭に集中。両隣も裏の家もほとんど泥は無し、というちょっと悲しい状況になってしまったのだ。
ともかく、泥が固形化してスコップですくえる状態になったので、住人達の何人かはすでに雪かきの要領で道路の泥かきを始めたようだ。ウチも参加するが、よその家と違って庭中泥に埋まっているので、どうしても道路のことよりも自分の家の庭の方が気になってしまう。せめて門から玄関の間くらいは泥をどかしたいどころだ。かといって引っ越してきたばかりの身ではあるし、ご近所との協力体制もやっぱり重要。結局夫が道路の泥かき、私が家のエントランスの泥かきをすることになり、そこからは延々の肉体労働が始まった。
でも、不安でざわつく心を落ち着けるには、エンドレスとも思えるような労働はなかなか効果がある。それこそ無我の境地で、日暮れまで働き、泥と疲労にまみれた労働を終えた。
やれやれと家の中に戻ったが、そこでは新たな問題が発生していた。どうもトイレの排水がスムーズではないようなのだ。昨年の新宿の家での下水道騒ぎを彷彿とさせる、その流れ方。我々にとってはあまりに生々しい記憶なので、さっそくご近所に聞き込みを開始した。そして、やっぱりご近所も流れが悪いということが判明。ああ、なんたること、またしても下水道騒ぎに巻き込まれたというのか。
現状ではあまり意味がないかもしれないとは思いつつも、夫はなかなか通じない市役所へ電話をかけ続け、ようやくつかまった市役所の人に下水の状況を説明した。地震の被害で大混乱の最中と思われる市役所は、それでも明日までには町内の被害状況を調査して回ります、とのこと。聞き込みをしたご近所の方に結果報告をし、とりあえずできるのはここまで。
新宿の家の隣人からはメールが届き、無事だったのがわかった。心配していたこちらの方が、被害はずーっと大きかったようだ。
ひとまず安心したところで、ようやく本当に一日の終わり。心身ともにへとへとで眠った。 が、へとへとで眠った割に、不安のために眠りは浅かった。夜中の3時頃にふっと目が覚めると、ちょうど部屋の常夜灯が消えるところだった。窓の外を眺めると、街灯も消えている。どうやら停電になったようだ。といっても、だから何ができるわけでもないので、またそのまま眠ったが。
結局、この停電は昼過ぎまで続いた。
3.
一夜明けて
夜が明けても、停電は続いている。庭を見ると、すっかり水気が少なくなってずっしりと重たげな泥が気が遠くなるほどぎっしり積もっていた。家の横手や裏手はさらに深々と埋まっていて、一見しただけで自分達だけではとても手に負えないのがわかる。
テレビが見たいところだが停電では仕方がない。非常用のラジオで情報を拾うが、テレビを見慣れた身にはどうにもラジオは疲れる。さらに仕事が忙しかったのだが、停電じゃあ不可能。気ばかりあせって何かをやっていないと落ち着かないので、前日の延長で泥かきをすることにした。
おそらく近所の人達も同じなんだろう。ちょうど週末でもあったので、いっせいに道路脇の側溝の泥かきが始まった。ウチでは、前日同様に私は家のエントランス担当だったのだが。
側溝の泥かきは、ほとんど雪かきと同様だ。泥をすくっては道路両側に積み上げていく。
違うのは、この泥が水溶き片栗粉のように粒子が細かくずっしりと重くて、扱いづらいこと。さらに道路より低い側溝からかきださなければいけないこと。洋服などに付着した泥が、乾くと細かい砂埃になって家のあちこちにばらまかれるから、家中がじゃりじゃりして気持ち悪くなること。
さて、エントランス担当の私はといえば、大きなスコップもひとつしかなかったので、チリトリで格闘していた。チリトリでいっぱいに泥をすくいとると、もう相当な重量なので、これを家の前の道路まで持って行き、泥山に継ぎ足す。ひとすくいずつ道路と往復する気の遠くなるような作業だ。通路らしきものができてからは、なぜか家にあったネコ車が大活躍。直接泥を放り込むと、ひっついてしまうので、ガラ袋を敷いた上に泥を積み込んで道路まで運ぶという作業になった。
泥かきの最中、停電の合間でも働いてくれる携帯電話にメールが入った。後にニュースでかなり話題になった、「コスモ石油の火災により、有害物質が雨などと一緒に降ってくる」というデマメールである。もちろん最初はデマメールだなんてわからない。すっかり信じて十人程にメールを回し、テレビも見れない状況だからと泥かき中のご近所の方々にもお知らせ。やっぱりそうとうにパニックだったんだろうなあ。普段はわりと疑い深い方なのに。だいぶ迷惑を振りまいて、数時間後にデマが発覚してからはちょっと落ち込み。でも、知人達の安否確認ができたから、まあいいか。
停電は昼過ぎには直った。といっても、やることは同じ。この週末と続く幾日かはこんな肉体労働が続いた。しかし私はこの時、運悪く本業の仕事が山積みだった。停電が直ってしまったので、やらないわけにはいかない。だから、ハードなデスクワークに疲れて腰を伸ばしたくなると、泥かき。泥かきにへとへとになって座りたくなると、デスクワークという繰り返し。ああ、しんどかった。
この頃、快晴が続いていた。あれやこれやの心配ごとが山積みだし、迷惑メールは発信しちゃうし、というこんな時でさえ日の光というのは気分が下向きになるのを防いでくれる。仕事と泥かきに疲れ果てると好奇心も湧いてきて、近所の偵察にでかける気にもなり、被害状況の写真も撮ってきた。こんな被害に遭う機会などもう一生ないだろうから(だといいなあ)、せいぜいあれこれ記録しとかなければ。
地震翌々日になると、ようやく食料品の買い出しをしなければ、と気がついた。さすがにこんな災害の後は、よく料理する食いしん坊の私でも「何でもいい」という気分になってしまう。10日間くらいは、ふりかけご飯だの、インスタントラーメンだの、買ってきたパンだの、そんなメニューが続いた。とはいえ、卵や缶詰、インスタント食品くらいは必須。昼間はあれこれ忙しいので、早朝、24時間営業のスーパーに行ってみた。やっぱり品揃えがだいぶ薄く、欲しかった卵は買えなかった。でも、届いたばかりのインスタントラーメンがあったので、10個ほど買うことができた。非常時に、インスタント食品が欲しくなるのは誰しも同じとみえ、店の人の「ラーメン、もう終わっちゃう。入れたばっかりなのに」という声が聞こえてきた。世間も本格的に非常事態なんだなあ、と実感。
スーパーの帰りには、いままで行っていなかったあちこちを探索してみた。町内の人の話で「あのへんがひどい」というあたりを覗いてみると、まさに愕然とするような状況。道路が小山のように盛り上がってひび割れ、電柱は45度よりも倒れていたりする。水道管が破損したんだかどうだか、水浸しになっている公園もあった。
4.
泥だらけの日々
地震後はご近所総出の泥かきが3日間ほど続いた。毎日快晴なのは作業をするのに助かる反面、乾いた泥の粉が町中にただよっているかんじで、たいへんに不快。作業中のマスクは必須アイテムだった。
道路両脇には次第に泥の山が積み上げられ、道路部分はどんどん狭くなっていく。特にウチの前は泥の量が多かったため、ものすごい。道路幅は6mだが、最終的には車はとても通れそうもないくらいまで狭くなってしまった。いずれ市が回収に来てくれるだろうけど、待つのがなんと長く感じられたことか。しかし、車も通れないほどの道路、果たしてどのようにして回収作業をするのだろうか。
市が泥回収の車を出し始めたのはたぶん3月15日。もちろん町全体の話なので、1日で終わるようなものではなく、連日作業は続いた。そして、我が家の前の泥が市の回収車によって道路から撤去されたのは、3月15日。ここは被害程度がひどかったので、回収も一番早かったようである。
泥の回収は、トラック、ブルドーザー、小型のショベルカーの3種類がセットでやってきた。これらはまず町内のちょっと広いメインストリートに集結した。そして、我が家の前の通りには、まず小型のショベルカーがバックで入ってきた。
小型のショベルカーは泥の山の上をバックで登って行き、山の上から来た方向に向かって泥をシャベルでくずしていく。そのくずした泥に向かって、こんどはシャベル部分を下げたブルドーザーが突進して行き、2台の車ではさむようにして泥をブルドーザーのシャベルに救い上げる。さらに、人間ふたりがスコップでシャベルを泥でいっぱいにする。ブルドーザーはそのままバックでメインストリートで待機しているトラックのところまで行き、シャベルの泥をトラックに積み込む。トラックは泥がいっぱいになると処理場まで運んで行き、作業はいったん休憩にはいる。
こんな手順で、道路をふさいでいた泥の山は次々と制覇され、一日続けて、ようやく道の全貌が現れた。これで、側溝は住民達の手によりほぼ片付いたし、道路の泥もなくなった。すっきり。
でも、我が家の庭には、まだぎっしりと泥が詰まっている。庭の泥は自力でなんとかなるレベルではないと、すでにあきらめて業者に撤去を依頼してあった。じゃまだった道路の泥が撤去されたので、翌々日には、さっそく業者に来てもらい、撤去作業を初めてもらった。
こちらの作業はなんといっても庭なので、いたって原始的。家に横付けにしてあるトラックの荷台から道路に長い板でスロープを作る。泥はスコップでネコ車にとり、ネコ車をころがしてトラックの荷台に駆け上って行く。見ているだけで、疲れてくるような力仕事だ。庭を整地したばかりで、植え込みが少なかったのは幸いだったが、家の裏側や縁側の下、エアコン室外機の下など、細かい部分もある。職人さん3〜4人で4日間もかかるとてつもない作業だった。
ウチではあまりにも状況がひどすぎたために業者に頼んで、地震後早いうちにほぼ片付いてしまった。しかし、泥は出たけれども業者に頼むほどではない、という家がほとんどで、泥の回収はやっぱり必要不可欠。市でもそれはわかっていて、数ヶ月の間は泥が出たらレジ袋や米袋などにつめて家の前に出しておくと、数日置きに回収に来てくれていた。
プロに頼んだ我が家ですら、その後そうとうな量の泥が出た。なんたって相手は元々が液体だったから、ブロックの穴なんかにももぐりこんでいて、思いもかけぬ時に大量に出たりするのだ。雨の降る寒い日にエアコンをつけようと思ったらつかなくなっていて、室外機を調べたところ、中に泥がぎっしり詰まっていた、ということもあった。エアコンはカバーをはずして泥掃除をしたら、無事動いてくれた。
5.
トイレ使用不可
地震の日当日から具合が悪かったトイレの流れは、心配事の筆頭のひとつ。震災の翌々日だったろうか、市の職員が直接来て、町内の下水管が何ヶ所も破損していることがわかったので、下水はなるべく流さないでください、と言う。うわ、やっぱり去年に引き続き2年連続で下水道被害に遭遇なのか。下水道の呪い?
それでも、トイレに入らないわけにはいかない。よもや逆流はしないだろうなあと、びくびくしながら使っていたのだが、その翌日にはもう近所の公園に仮設トイレが7〜8個も次々と設置された。同時に町会から、しばらくの間家のトイレは極力使わないようにとの指示。「なるべく」から「極力」に格上げである。
仮設トイレというのは私は初体験。ともかく、こうなったからには何でも体験してやろうじゃないかと、いろいろな種類のトイレに次々トライしてみた。
ざっと見たところ、種類は大きくふたつに分けられた。どちらも洋式である。ひとつめは工事現場などでよく見かける、プラスチックのような硬い素材で細長い箱形のタイプ。これは床も含めてすべて素材のプラスチックのようなもので囲まれており、床は地面よりもけっこう高い位置にある。こちらはペダルを踏むとモノは落下して見えなくなるような仕組みだった。さらに手動でポリタンクの水を流すという作業があって、水洗トイレに近い。
もうひとつはテントタイプ。これは箱形にくらべて床面積が広い。4隅に支柱を立て、テント生地で囲み、扉はカーテン式で、端っこはめくれないようにポールが縫い込んであり、けっこうがっしりと閉まるようになっている。こちらは周囲はテント生地だが、床は地面のまま。中に大きなベンチのような横長の箱が置いてあり、箱の上には穴があいてそこに便器がセットされ、モノは箱の中に溜まるという昔懐かしいぼっとんトイレ型式。
見たところ、ぴったりとドアが閉まって水洗トイレっぽい箱形タイプの方が人気はあるようだった。でも、私個人はテントタイプの方がよかった。理由は細長い箱形はなんとなく安定感にとぼしい気がして、まだまだ余震が続く中、箱ごと倒れそうな気がしたのだが、テントタイプは足下が地面だったので、とりあえず大地に立っているのが安心だったこと。それと、箱形タイプは狭くて服の着脱がしづらかったから、地震じゃなくても私自身が壁にぶつかってトイレを倒しちゃいそうな気がしたから。
まあ、子どもの頃にも、学生時代にもぼっとんトイレだったから、さほど抵抗がなかったということか。それにしても、感心したのは、便器脇にはハンドルのようなものがあり、なんとそれで溜まったモノを水平にならす仕組みになっていたこと。以前、阪神淡路大震災の時のトイレ事情の本を読んだことがあるのだが、あの時は糞便がトイレの中で富士山のように積み重なってたいへんだったとか。教訓は生かされているようだなあ。
それにしても、洋式なのはありがたかった。後でわかったのだが、別の地区の公園には和式トイレが設置された場所もあった。でももう、和式は製造もなくなるだろうな。
夜になると公園にはお祭り用と思われる照明がつけられ、安全面にはかなり配慮してくれているようだった。トイレの上部はメッシュや隙間があって、外部の光が入る仕組みになっている。とはいえ、家によっては公園までの距離は遠すぎるところも多いし、老人などには夜間に公園までトイレ通いするのは無理というもの。では、どうするか。
市からは、お試し用の簡易トイレが各家庭に1個づつ配られた。家庭の洋式便器の中にビニール袋をかぶせ、用足しはその中にして、後は燃えるゴミとして出すという方法である。こんなものもあるので、必要ならば各家庭で購入して使用してください、ということだった。ご近所では、「ウチでは猫砂買ってきて、夜はそれにしてるのよー」なんていうお宅もあった。家庭用簡易トイレの販促チラシなんていうのもポストに入ってきていた。みーんな、トイレには悩みまくっていたということだ。やれやれ。
とにかく、公園の簡易トイレには4月頭くらいまで通うことになった。いろいろ経験を楽しもうという決意はしたものの、やっぱりできれば簡易トイレは使いたくないもの。だから、昼間はちょくちょく自転車で清潔な水洗トイレ目当てに大手スーパーなどに出かけていた。
6.
トイレだけじゃない下水道
さて、下水はトイレだけではない。お風呂も洗濯もある。まだ寒い時期とはいえ、毎日泥まみれの肉体労働の日々である。最初のうちは「できるだけ」だからと都合よく解釈して、遠慮しながらシャワーも浴びてたし、洗濯もしていた。とにかくいったいどのくらいひどいのか、定かにはわからないのだ。
そのうち、業者の車がやってきて下水管の掃除をしますという。作業を始めると、我が家のトイレもそれに呼応してごぼごぼと音をたてている。とりあえず、家の下水管と道路の本管とはつながっているらしい。なんだ下水道、一応通っているんじゃないの?
それからときどき下水管の掃除部隊がやってくるようになった。聞いたところによると、この業者、横浜が本拠地だという。関東の業者はけっこう東北に行っちゃってて、とにかく人手が足りないらしい。
ともあれ、こうやってときどき掃除をしているからには、けっこう流れるってことなんじゃないのかなあ。どうしたって都合のいい方に考えたくなるものだ。
その後3月27日に、緊急町内会が開かれた。場所はこのころ毎日お世話になっていた、簡易トイレが並ぶ公園である。この会合で習志野市と下水道局からの説明がされた。結論はこの町は習志野市の中でも最悪の場所のひとつで、さらに同じ町内の中でも、我が家は一番ひどい場所の中に入っている。
我が家について言えば、少なくともあと1週間は下水に水を流しては駄目(100%制限)。1週間過ぎた後も、トイレだけはOKだが、風呂や洗濯は、いずれも埋め立て地ではない内陸部の銭湯やコインランドリーに行って欲しいとのこと(75%制限)。それが3ヶ月も続くという。3ヶ月で生活が普通にできるような仮復旧が完了。本復旧は、現時点ではいつになるか見当もつかないということだった。
3ヶ月! これには愕然。いろいろ考えてはいたのだが、これが決定打になってマンスリーマンションを借りる決意をした。マンションといったって、生活を移すわけではなく、単に洗濯と風呂に入りに行くためのもので、ここにしばらくの間、自転車で通うことになった。なぜ銭湯とコインランドリー通いにしなかったのかといえば、我が家には自動車というものがなく、移動手段は徒歩か自転車だ。銭湯とコインランドリーも行ってはみたが、あまりにも遠すぎて、とても毎日はいけそうもなかったから。1週間ならともかく、3ヶ月じゃあね。
会合のあと、すぐさま不動産屋に契約をしにいった。いいかげん風呂も洗濯も遠慮しながらの生活にうんざりしていたし、遠慮しながらでも駄目だということになってしまった以上、すぐにでも借りたいところ。とりあえず1ヶ月の契約で、なんとか翌々日に入居することができた。不動産屋で、被災してマンション借りるというケースってあるのかと聞くと、やっぱり浦安地区の住人がけっこう借りにきているらしいとのこと。みんなたいへんなんだなあ。
マンションは自転車で10分程度の場所だった。部屋は5階建てのビルの5階で、エレベーター無し。健康のための日々の運動にはうってつけの階段登り。はぁ。それでもなんでも、とにかく久々のお風呂はありがたかった。心置きなく洗濯ができることも。
このマンションは、結局1ヶ月で退去した。というのも、75%制限が3ヶ月続いたわけではなく、その後50%制限になったので、さすがにマンションの賃貸料を払うのがばかばかしくなって解約した。
7.
地盤沈下
庭の泥撤去作業は、3日間続いたあと雨やらなにやらで中断していた。そして問題が出ていた。庭に雨水が溜まるようになってしまったことが発覚したのだ。どうも大量の泥水が出たせいで、その分地盤沈下してしまったようだ。それに、以前庭の東側に固まる土というのを撒いて固めておいたのだが、その下の一部が空洞になってしまっていたらしく、歩いていたら踏み抜いて、ぼっこり穴が空いてしまった。
工務店にその旨報告し、泥撤去作業は再開され、終了した。この後は、泥といっしょに庭土もだいぶ削れてなくなってしまったので、土を運んできて入れてもらうことになった。穴も空いちゃっているし。
でもその前に土地の測量をしてもらった。その結果、家のあたりより庭の真ん中あたりの方が4cmほど高くなっていたそうだ。仕方がないので、そのあたりの庭の土を削ることになった。だから中央部は削り、庭の東側の固まる土ははがしてから土で埋めてもらい、その他のえぐれた部分にも土を入れ、これで本当に作業は終了。おかげで地面は見違えるようにきれいになった。
ようやく庭が片付きほっとしていると、今度は習志野市から各戸の下水管の調査がやってきた。家から道路にある下水管までの流れが正常かどうかのチェックである。そしてその結果、悲しいことに若干流れが悪くなっていることがわかった。つまり、家の方が高くて道路の方が低ければ下水はスムーズに流れるのだが、家の付近が地盤沈下して、高い位置になければいけない下水管が低くなってしまい、家から道路へのラインがほぼ水平になってしまったということらしい。
検査にひっかかってしまった我が家にはそれから数日後に再調査が入り、この時には工業用の内視鏡で下水管内を目視。やっぱり下水管の一部が陥没して汚水が溜まる場所ができてしまっているということがわかった。「自前での工事が必要ですね」と言って帰っていった。あーあ。
その他にもまだ、土砂降りの雨の日に問題が出てきていた。カーポートの屋根が道路方向に傾斜していなければならないのに家の方向に傾いてしまい、雨樋が用をたさなくなっており、雨水がすべて家側に落ちてくることがわかったのだ。カーポートの屋根全部の雨水が1ヵ所に落ちてくるとけっこうな量で、せっかく庭を削って整地してもらったのにかかわらず、家の周囲は大きな水たまりができ、どうかすると床下浸水のおそれもありそうだ。
いずれは雨樋を直してもらうことにしても、とりあえずの対応をしなければならない。苦肉の策で、家の入り口あたりの大きな水たまり部分から道路方向に向かって庭の真ん中に排水用の川を掘り、なんとか雨水の排水がスムーズにいくようになった。もちろんこれは、土砂降りの最中にびしょぬれになりながらやった作業だ。
カーポートの雨樋の工事は、道路の下水管工事や敷地内の下水管工事の後にした方がいい、という判断から、その後長い間雨水には悩まされた。そのうち、庭の中央に川というのは、あまりにも馬鹿げていると気づき、樋代わりに長い板を斜めにわたして雨水の通り道を作ってしのいでいた。
とにかく地盤沈下というのは、いろいろと想像を超えたやっかいなできごとが続出なのである。
もっとも家が傾かなかったのは、幸運だったけど。当然ながら傾いてしまった家も多く、非常にしばしば「家の傾きを直す工事いたします」というたぐいのチラシがポスティングされている。ご近所でも、今現在その工事をしている家がある。
8.
下水管破損
今回の地震では、とにかく下水管破損が町内のあちこちでおこった。隣町では下水管のメイン交差点のような場所で大規模破損があり、道路の大陥没がおきた。私の住む町でも、規模は小さいが破損と道路陥没があった。おかげで下水使用制限の被害を被ったわけだが、時間がたつにつれ、さらに小規模破損が次々と発覚していった。
NHKのテレビ番組で知ったのだが、習志野市では舗装道路の下にできてしまった空洞を車両で探索するという作業をしたそうだ。そして、我が家の前の道路にも空洞がみつかったらしい。下水管もやや壊れていたそうだ。正確には、我が家の下水管と公共の下水管のジョイント部分が壊れていたそうで、その一帯を市が修理するという話になった。なんとうれしいことに、そのジョイント部分から我が家の下水の最終マスまでの部分の修理をしてくれるという。前項で「自前での工事が必要ですね」と言われた部分のうちの一部である。おかげで自前で支払わなければならない金額が大幅に減少した。これは助かった。
この工事は、8月22日、23日に行なった。アスファルトをはがして地面を掘り、管を取り替える。我が家の敷地内も、コンクリートで固めてある下だったので大変そうだったが、同様にして管が取り替えられた。
この工事が終わり、ようやく敷地内の下水管工事ができるようになった。9月9日、10日の二日間が、工事日。この工事も大変そうだった。なんといっても下水管が通っている真上にカーポートを作ってしまってあったので、コンクリートを剥がさなければならない。カッターで切って、掘削機で削り、ショベルカーで残骸を運ぶものすごい工事になってしまった。ただ、ウチは自動車がないので、掘ったところは埋め直さず、土を入れるだけにした。なんたってここは埋め立て地。もう一度同じことがおこらない保証はないものね。
下水管の工事が無事に終わり、直後にカーポートの雨樋を増設、逆流しないように直した。
ようやくこれで雨の度に床下浸水するんじゃなかろうか、というびくびくがなくなった。ああ、長かった。
さて、我が家の下水道の話は終了だけど、町内の下水管についてはこれからだ。仮復旧は、当初の予定通り6月いっぱいで完了し、下水使用制限は解除された。3月27日の緊急町内会では、下水道の本復旧はいつになるか見当もつかないということだったが、ぼちぼち予定も立ってきたらしく、来年度4月から本復旧作業が始まるらしい。それに伴い、10月から道路や住宅地の測量を始めている。
測量といっても面積関連ではなく、高さの測量だ。まだまだあちこちで盛り上がったり陥没したりした場所がてんこもりだから、これを直していくのはさぞかしたいへんだろうし、測量するだけでもかなりなものに違いない。今日も測量技師らしき人が町内をうろうろしていたが、徒歩での移動じゃ大変すぎるらしく、測量用の三脚を肩にかついで小型の自転車で移動していた。
9.
歯槽膿漏化した電柱400本
液状化の被災地である我が家は、地震の時の揺れ方がとにかくものすごかった。船に乗っているように足下が揺れる感じである。で、町内ではあちこちで電柱が倒れ、倒れないまでも強烈に揺さぶられた結果、歯槽膿漏になった歯のごとくに根元がぐすぐすになってしまっていた。もちろん倒れて斜めになってしまった電柱は優先的に取り替えられ、震災後1ヶ月もすると真新しい電柱があちこちで見られるようになった。
我が家の前に立っている電柱は、倒れはしなかったが根元がぐすぐすになっているという奴だ。私の知るかぎりでは、まず3月25日に調査車両がやってきた。調査員がクレーン車で電柱にかかる電線を調査していた。それも一日に別の車両の別の人が来て調査していた。電気関連と、電話関連だろうか。詳しいことはよくわからない。
しばらく間があって、6月30日、第一段階の工事があった。ぐすぐす電柱の隣に、仮電柱を立てる作業だ。巨大ドリルで地面に穴を開けるという珍しいものが見られた。
第二段階は、ぐすぐす電柱にかかっている電線を仮電柱に移動するという工程。道沿いの電線をある程度一挙に動かすらしく、工事車両が8台も勢揃いしていた。この作業は1日では終わらず、2日かけていたようだ。これも電気関連と電話線関連だろうか。よくわからないが。その後、また間を開けて8月25日にもクレーン車で登って作業している姿が見られた。これも何をやっていたのかはわからないが、この日は下水管の修理車両も来ていたので、家の前は大混乱だった。
9月23日、不明な工事。仮電柱の足下を掘って、埋め直していた。
10月5日、いよいよ第三段階。ぐすぐす電柱を引っこ抜いて、新しい電柱が立った。
春には、電柱の工事は8月いっぱいを目処に行いますと発表があったのだが、すでに10月。現場の人に、いつ終わるの?と聞くと、「一応、年度内が目標です。年内じゃありませんよ」とのこと。彼らが交換しなくちゃならない電柱は、なんと400本あるんだそうだ。まあ、遅れるのも無理ないか。 現在、電柱工事のお知らせが入っていて、次回工事は10月24日、25日の予定。たぶん、またいっせいに道沿いの電線を仮電柱から新電柱に移すのだろう。
で、その後仮電柱を引っこ抜いて完全終了だと思う。ウチのは年内に終わるのかなあ。
なにせ工事内容がよくわからないもので、見当がつきづらい。今現在も、お知らせにはなかったが電気関連の工事車両が家の前に横付けになった。今日はいったい何をするんだろう。まあ、ともあれ、わからないながらも復興は着々と進んでいるようだ。
2011年10月21日